福島県二本松市にある『浄土真宗本願寺派 塩松山 顕法寺』の公式ホームページ

顕法寺

顕法寺について

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沿革

当山は、開基長察律師の創立です。本願寺第九世教恩院実如上人の代に得度し、特に直筆の御書を拝受し、大永二年(1522年)奥州塩松の郷に一寺を建立して、聞法衆生に努めました。その後、二本松市小浜新町に移りました。顕法寺の開基長察律師は、天文八年(1539年)に往生しました。

二世祐身、三世勝誓、四世伝栄、五世祐照、六世祐玄と法庭を拡げていきます。

七世土身は、二本松城主加藤民部大輔明利公の菩提寺として二本松城下池ノ入に移り、寺領五十石を毎年賜りました。その後、丹羽光重公が入国し町割の折、前城主の菩提寺故に明治に至るまで寺領十石を賜り、現在地(福島県二本松市竹田)に本堂を移転しました。

八世の休身の弟休山は、元禄年間に小浜跡寺を分割し法楽寺と改称しました。

九世正諦、十世順応、十一世宝雲、十二世宝順、十三世宝林と続き十四世西信の代の明治維新後、寺門の維持困難となり山林等を開墾しています。

明治六年(1873年)学制発布の折、竹根小学校創設に本堂を貸与して教育と社会奉仕に尽力しました。明治二十五年(1892年)4月25日竹田根崎の大火の折、本堂、庫裡、山門が全焼します。しかし、門信徒の必死の努力により御本尊をはじめ法宝物避難して無事でした。

檀頭七島徳太郎氏はじめ全門信徒の格段の報謝行により、十五世弘長代鋭意復興に尽力し、本堂、庫裡、山門、太子堂を再建し、十六世義弘代の昭和二年(1927年)に完成しています。

十六世義弘は、住職在位60年に及びました。十七世弘融代に本堂、庫裡に傷みが多くなってきたため、檀頭七島柏氏を中心として昭和六十二年(1987年)に本堂建設委員会を組織し建設にあたり、平成元年(1989年)に本堂、庫裡が完成しました。これが現在の本堂です。そして、平成二十五年(2015年)4月24日十八世顕融の継職法要を行いました。

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浄土真宗本願寺派 塩松山 顕法寺
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